これが律法である(マタイ7章12節)
                                             牧師 熊谷徹
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 マタイ福音書7章12節前半(「なにごとも人にせられんと思うことは人に
もそのごとくせよ」)は「黄金律(ゴールデン・ルール)」と呼ばれる。

 「黄金律」の冒頭には、「それゆえ(それで、だから)」という接続詞が
ついている。ごく普通に読めば、直前の11節を受けて「だから」と言ってい
ると読める。だが、『山上の説教』の構造に目を向けると、別の読み方が可
能となる。山上の説教に「律法と預言者」が登場するのは7:12と5:l7
(「私は、律法や預言者を廃棄するためではなく、成就するために来た」)
だけである。そして、この両節が山上の説教の本論部の冒頭と結尾となって
いる。この構造を理解するなら、7:12の「だから」は、これまで山上の説
教の本論部でキリストが語って来たことの全体を受けて、「だから」と言っ
ているのだと理解できる。即ち、これまでキリストが山上の説教で語って来
た教えを一言でまとめるならば、この黄金律に帰着するのである。

 「黄金律」の精神は「愛」である。相手を思いやる心、相手への愛である。
キリストは、「隣人愛」を「律法」と結びつけてこうおっしゃった、「神を
愛し人を愛せよ。己れを愛する如くに汝の隣人を愛せよ。律法全体はこの2
つの『愛の戒め』にかかっているのだ」と(マタイ22:34〜40)。パウロも
このキリストの教えを受け継いでこう言った、「律法の全体は、『あなたの
隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされる」(ガラ
テヤ5:14)、「愛が律法を全うする」と(ローマ13:10)。

 新渡戸稲造は、「愛は律法である」と言った(『武士道』)。キリストの
「黄金律」は、私達に「愛に生きよ!」と命じる「愛の律法」である。
 キリストは「最後の晩餐」の席で弟子達に「最後の遺訓」として「新しい
戒め」を与えた。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合
いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」
と(ヨハネ13:34)。これが、キリストが私達に与えた「愛の律法」である。
私達は、この「新しい戒め」に生きること、「黄金律」が教えている「隣人
愛」に生きることを、熱心に「祈り求める」(7:7)べきなのである。
 主は言われる、「それゆえ、人々があなた方にして欲しいと思うことはす
べて、あなた方も人々にしてあげよ。これこそ、律法であり預言者達なのだ
から」(TK)と。             (2003.2.1礼拝説教より)