【愛のうちに建てられる教会】
  (エペソ人への手紙4章1節〜16節)      牧師 熊谷徹

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 エペソ人への手紙第4章15節、16節には「愛」という言葉が繰り返されて
いる。原文は「アガペー」というギリシャ語である。聖書に於てこのアガペ
ーという言葉は、我々が考えるような普通の意味での「人間的な情愛や恋愛
や友愛」とは一線を画す独特の「愛」を表す。それは、「神の愛。キリスト
の愛」を表す言葉なのである。

 アガペーの究極的な姿を私達は、十字架のキリストに見ることができる。
すべてのものを与え、御自分の命さえ投げ出された主イエス。御自身を愛し
慕う者達のためだけでなく、御自身を憎み迫害し殺そうとする者達のために
さえ、命を捧げた主イエス。主は、「私達を愛し、私達の罪のために」、御
自身を十字架に犠牲にされたのである。主イエスの十字架の死、ここに愛
がある!」(cfTヨハネ4:10)。

 キリストが「最後の遺訓」として弟子達に残された教えは、「アガペーの
教え」であった。キリストは言われた、「あなたがたに新しい戒めを与えま
しょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したよう
に、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」 (ヨハネ13:34)。

 「キリストの体なる教会」に於て、人と人とを結び付ける「靭帯[16節。
結び目、節々]」の役目を果たすもの、それは、キリストが、「私があなた
方を愛したように、そのように、互いに愛し合え」と言われた、そのような
アガペーの愛である(cfコロサイ3:14)。教会は、一人一人がアガペーの愛
に生きる者とされることによって、「成長し、愛のうちに建てられるのであ
る」。

 16節最後の言葉は「アガペーのうちに[愛によって]」という言葉である。
教会とは、「アガペーの愛のうちに」於てのみ成長してゆくことができる
「キリストの体」なのである。そのキリストの体なる教会に於て、一人一人
が「結び目」となること、それが、「教会のかしらなるキリスト」(エペソ
1:22)の切なる願いなのである。
                  (2003年 2月23日礼拝説教より)