【聖霊降臨(ペンテコステ)】 (使徒2章1〜42節)
                            牧師 熊谷徹
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1.神の時が満ち、救い主キリストが生れた。キリストは神の愛を人々に教
え、その無限の愛を余す所なく注いで、十字架にかかって死んだ。人類の罪
をその身に背負い、人類の罪に対する神の怒りと裁きとを、私達に代わって
受けて下さった。その十字架の死によって、私達の罪を赦し、滅びから私達
を救って下さったのである。ここに新しい時代が到来したのである。
 十字架の死から3日目の朝、キリストは死の力を打ち破り、墓からよみが
えられた。十字架と復活によって私たちの救いを成し遂げたキリストは、永
遠の天の御国へと帰って行かれた。オリーブ山の頂上から天に帰って行か
れた時、キリストは弟子達にこう約束された; 「聖霊があなた方の上にく
だる時、あなた方は力を受けて、エルサレムと全ユダヤとサマリヤ、および
地の果てまで、わたしの証人となるであろう」 (使徒1:8, FSK)。
 復活の日から「5O番目(これが「ペンテコステ」の意味)」の日に、約束の
聖霊が弟子達に下った。そして、多くの人が神を信じ、バプテスマを受けた
(2:41)。ここに教会が産声を上げたのである。このペンテコステは「聖霊降
臨日」とも「教会の誕生日」とも呼ばれる。

2.ユダヤの伝承によれば、シナイ山で神がモーセに「十戒」を授けた日が
この日だったとされる。そこで彼らは、この祭の前の晩、徹夜で十戒と律法
を学んだ。だとすれば、主イエスの弟子達もそうであったに違いない。彼ら
は、御言葉を熱心に学びつつ、神の約束、キリストが約束した「聖霊の降臨」
を信じ待ち続け、祈り合っていたに違いないのである。
 使徒2:1に、主イエスの弟子達は「みなが一つ所に集まっていた」と記
されている。「一つ所」は(1:13の「屋上の間」とする説もあるが)状況から判
断すれば、エルサレムの神殿であろう。 2:15に「朝の9時」とある。それは
ユダヤ人の祈りの時刻である。この時、弟子達は「心を合わせ、祈る」(1:14)
ために、一緒に集まっていたのである。
 そのような祈りの場で、2節以下に記される不思議な出来事が起き、教会
が産声を上げた。キリスト教会は「祈りの場」から生れたのである。このこと
は、教会とは何かを考える時に忘れてはならない大事なことである。キリス
トは言われた、「わたしの家は祈りの家でなければならない」と(ルカ19:46)。
「キリストの体」 (エペソ1:23)なる教会は、祈りの場から生まれた「祈りの
家」なのである。          (2003.6.8礼拝説教より)