【教会を愛する】 牧師 熊谷徹 =================================== 「だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。 それはキリストが教会をそうされたのと同じです」(エペソ5:29)。 「教会はキリストのからだ」であり(エペソ1:23)、「ご自身がそのから だの救い主であられる」(エペソ5:23)。だからキリストは教会を「自分の 身」のように深く愛し、「養い育て」て下さるのである。それゆえ、教会の 枝である私達もまた、キリストの教会を愛すべきである。 『教会を愛することは、ほとんど不可能なように思えることがよくありま す。けれども、教会にいる人々はすべて・・(中略)・・涙の谷を行く、長 い証し人の列に連なっています。賛美と感謝の歌を歌い、主の御声を聞き、 分かち合うたびに増え続けるパンを共に食べながら道を行く証し人の長い列。 このことを思い起こす時、「私は教会が好きです。教会のメンバーであるこ とが嬉しい」と言えるのではないでしょうか。教会を愛するのは、私達の聖 なる義務です。教会を本当に愛することなしに、喜びと平和をもって教会の 内で生きることは出来ません。教会を本当に愛していないなら、人々を教会 に招くこともできません』とヘンリ・ナーウェンは言っている。 教会がキリストの体であり、キリスト者はその器官だということについて パウロはこう言っている;「一つのからだには多くの器官があって、すべて の器官が同じ働きをしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリスト にあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです」(ローマ 12:4−5)。 自分がキリストの体の一つの器官なのだということを心に刻もう。それと 同時に、他の兄弟姉妹たちも「体」にとってかけがえのない器官なのだとい うことも覚えよう(Tコリント12:26−27)。自分が器官として所属してい る体、すなわち教会を、愛する者となろう。私達の教会は、「神がご自身の 血をもって買い取られた神の教会」(使徒20:28)なのである。神がそれほ どまでに愛してくださっている教会を愛すること、それは「私達の聖なる義 務」なのである。 −茅ヶ崎同盟教会月報 2003.7月号より− |