【『伝道者の書』を読むために】
                            牧師 熊谷徹
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『伝道者の書』(注1)は旧約聖書の中でもひときわユニークな書物である。
本書には神名が一度も登場しないなど、信仰的な響きが希薄であるうえ、悲
観的で厭世的なムードが全体を覆っている。本書の本論部は1:2の「空の
空」で始まり、12:8の「空の空」で終わる。すなわち、本書をすっぽりと
包んでいるのは、 「空の空」という、何とも物憂い、人生無常の調べなの
である。それゆえ詩人八イネはこの書を「虚無の書、懐疑の書」と呼んだ。
だが、本書をじっくり考えつつ読むとき、その奥行きの深さに驚かされるの
である。そこには汲めども尽きない知恵と真理が満ちているからである。宗
教改革者ルターなどは本書を「慰めの書」と呼んだが、彼が見出した「慰め」
とは何だったのだろうか。

 本書の冒頭の言葉は、原文では「伝道者のことば」(1:1)である。
「伝道者」(へブル語でコーヘレス)は旧約聖書では本書以外には登場しな
い珍しい語で、 「会衆の前で語る人」「説教者」「集会の指導者」とか、固
有名詞的自称とする説などがある。この人物が誰なのかについては、ソロモ
ン王と何らかの関係がある(1:1参照)ということ以外は不明である。

 本書の鍵語と言うべき語は、「空」(1:2など34回)、「日の下」(1:
3など29回)、「労苦」(1:3など動詞を含めて35回)、そして「益」
(1:3など10回)である。これらの語を用いて伝道者は、「日の下」にお
ける人生の「労苦」が「空」であることを示し、人生の「益」とは一体何な
のかを読者に考えさせようとする。

 あなたの人生の目的は何なのか、あなたが生きる意味はどこにあるのか、
「影のように過ごすむなしいつかのまの人生で、何が人のために善であるの
か」(6:12)という、古典的でしかも極めて現代的な問いを投げかけて
いる。本書を通してその問に対する答えを見出した時、『伝道者の書』が
あなたにとって「慰めの書」となるに違いない。

(注1)口語訳は「伝道の書」、新共同訳は「コヘレトの言葉」


             −茅ヶ崎同盟教会月報 2003.10月号より−