【快楽と労苦の空】(『伝道者の書』(注)第2章を読む)
                            牧師 熊谷徹
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 人の世の知恵と知識のむなしさを経験した伝道者は(1:12−18)、快楽の
中に人生の益を見出そうとするが、それも空しい徒労であった(2:1−3)。
この世の成功を追い求めて、地位も富も築いてみたが、それもまた、空であ
った(4−11)。しかも、空の背後には、死が横たわっている(12−23)。
そのような人生においては、平凡な日常生活の中に満足を見出すしかない
(24−26)。

【T】快楽の空(1−11) 訳出されていないが4〜8節には「自分のために」
という言葉が8度も繰り返される。彼は「自分のために」邸宅を建て、
「自分のために」畑を設け、「自分のために」金銀財宝を蓄えた。地位も名
誉も手中に収め、「あらゆる楽しみをした」。しかし、後に残ったのは、む
なしさだけであった。

【U】労苦の空(12−26) この段落には「空(むなしい)」が6回、 「日
の下」が5回、「労苦」が9回繰り返される。すなわち、「日の下」におけ
る一切の「労苦」の「むなしさ」が強調される。
@死という現実(12−17)日の下を覆っているのは死である。死の問題を
解決しない限り、「すべては空しく、風を追うようなもの」である。
A労苦の空(18−23) この箇所では「労苦(骨折り)」が8回繰り返され、
人生とは労苦の連続であることが強調される。
B中庸の道(24−26) 空しさに対する真の解決を見出せない以上、神を畏
れつつ現実生活をそこそこに楽しむというのが一番無難であろう。

【考えよう】1〜11節を、ルカ福音書12章16−21節の「金持ちのたとえ」と
読み比べてみよう (ルカの方の金持ちは「自分の」という言葉を4回繰り
返している)。両者が教えているのは、「自分のために」ということしか眼
中にない人の人生はむなしいということである。あなたは、「神のために。
人のために」という思いを持って生きておられるだろうか。

(注)新改訳「伝道者の書」;口語訳「伝道の書」;新共同訳「コへレトの
言葉」;ヘブル語原典は「Qoheleth(コーヘレス)」。

             −茅ヶ崎同盟教会月報 2003.12月号より−