【高慢と謙遜・1】(箴言16章18節)
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                           牧師 熊谷徹
 
 1.自動車が行き交う道路にこんな立て看板が立てられました;「昔々亀さ
んは、ゆっくり走って勝ちました!」。あの「兎と亀の物語」を素材にした
交通安全標語です。こつこつ歩き続けた亀さんが、駿足自慢の兎さんに勝っ
てしまったというイソップ物語です。さて、これはその後日談であります。
 一躍有名人(有名亀?)になった亀さんは、それまでの控え目な態度が消
えて、「われこそは天下の亀様じゃ!]と言わんばかりにノッシノッシと村
を歩くようになりました。ある日、村の動物たちが、森が燃えているのを発
見しました。山火事です。動物たちは、「森の仲間に一刻も早く知らせて、
みんなを避難させなければ!」とあせりました。そこで、その伝令役を足の
速い兎さんに頼みました。ところが、それを聞いた亀さんは、せせら笑って
言いました;「そんな大事な役目が兎などに勤まるものか!わしが行く!」。
兎さんは、あの敗北レースの手前、亀さんに伝令役を譲りました…。
 さて、威風堂々亀さんが森の入り口に着いた時、森はすでに火の海…!あ
あ哀れなるかな!森の動物達は、みな、逃げ遅れて死んでしまいました…。
 一時の勝利におごり高ぶった亀の、取り返しのつかない大失敗でした。聖
書はこう警告しています;「高ぶりは破滅に先立ち、高慢は倒れに先立つ」
…箴言16章18節です。

2.「高ぶり、高慢」は「誇り、プライド]とは違います。「誇り、プライ
ド」は、本来は素晴らしいものであり、誰もが持つべき尊いものです。聖書
も、「誇る者は主にあって誇れ」と告げています(Iコリント1:31新改訳)。
「聖なる誇り、正しい誇りを抱いて生きよ!]と言うのです。持つべき「誇
り・プライド」を失ってしまったら、人は、成長もしなければ、崇高な人生
を生きようとも思わなくなってしまいます。

 一方、「高ぶり、高慢]は、「いびつな誇り」であり「歪んだプライド」
です。純粋な「誇り・プライド]とは違う、歪んだ誇りであり、エゴイステ
ィックで傲慢な、人を見くだす、下卑た心であります。しかも、そうした
「高ぶり、高慢」や「傲慢、驕り」は、多かれ少なかれ誰にでもあるもので
す。誰にでもあるということが、「人間はみな罪人である」ということの証
拠です。そして、サタンの本質が、まさにそれなのです。   (つづく)

               
−茅ヶ崎同盟教会月報 2006年2月号より−