【高慢と謙遜・5】(ペテロの手紙第一5章5節・6節)
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                           牧師 熊谷徹
 
1.「高ぶりは破滅に先立ち、高慢は倒れに先立つ」(箴言16章18節)
高慢・高ぶりの根源がサタンにあるとすれば、それを退治するのは自分だけ
の力では困難です。神の助けが必要です。第一ペテロ書5章6節には、「謙
遜にされなさい]とあります。普通は「へりくだりなさい」(新改訳)とか
「自分を低くしなさい」(口語訳・新共同訳)と訳されていますが、原文は
受動態です。「自分の力で謙遜になれ!」というのではなく、「神の力と助
けを仰いで謙虚にされなさい」と言うのです。私達は、高慢な自我を神に打
ち砕いてもらわねばなりません。

2.キリスト者にとって最も大事なことは、イエス・キリストの謙遜に学ぶ
ことであります。キリストは、最後の晩餐の時、弟子達の足を洗いました。
その時キリストはこう言われました;「主であり師であるこの私かあなた方
の足を洗ったのですから、あなた方も互いに足を洗い合うべきです」(ヨハ
ネ13:14)。このキリストに足を洗ってもらった弟子のペテロが言うの
です;「互いに謙遜を身に着けなさい」と。私達も、主イエスが弟子達の足
を洗われたことを思い起こし、主の謙遜にならいたいものであります。

3.ある青年が牧師のもとを訪れて次々と質問を浴びせました。牧師をやり
こめることだけを目的とした難問ばかりでした。牧師は答えに詰まりました。
青年がすっかり得意になり勝利の快感を抱いて帰ろうとした時、牧師はぽつ
りと言いました;「あなたに、もし謙遜があったなら…」。この一言が青年
の脳天を打ちました。青年はキリストを信じ救われて、後に牧師となりまし
た。昨年、日本同盟キリスト教団顧問の木下弘人牧師が天に召されましたが、
彼を賀川豊彦と共に救いへと導いた河辺貞吉(1864-1953)がこの青年です。
ペテロが告げたように、救いの恵みはへりくだる者に与えられるのです。ア
ウグスティヌスが言ったように、救いの道は謙遜にあるのです。

 聖書は告げます;「みな、互いに謙遜を身につけなさい。神は、高慢な者
には敵対し、謙遜な者には恵みを与えて下さる。だから、神の力強い御手の
下に謙遜にされなさい。かの時には[神が]あなた方を高くして下さるのだ
から」(ペテロの手紙第一、5章5節6節;私訳)。   (完)

               
−茅ヶ崎同盟教会月報 2006年6月号より−