【救い出す主】(ルカの福音書9章31節&24章50〜51節)

                                     
牧師 熊谷徹
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ルカの福音書9章31節に、変貌山でキリストの「ご最期」について語られる場面があり、こう記されています。「(モーセとエリヤが)
栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる《ご最期》について(イエスと)いっしょに話していた」。ここで「ご最期」と訳された言葉は「エクソドス」即ち「脱出(出エジプト)」という言葉です。「イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期」とは「キリストの十字架の死を指しています。そのキリストの死は「新しいエクソドス;新しい出エジプト」であり、魂の解放・救い・贖いのための「出エジプト」なのです。

ルカの福音書24章50節・51節に、キリストの昇天についてこう記されています;「
それから、イエスは、彼らをベタニヤまで《連れて行き》、《手を上げて》祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた」。ここには、十字架に死なれ復活されたキリストこそ、第二の「出エジプト」を成し遂げた「主」であり、信じる者を「約束の御国」へと「連れて行く」「主」であることが示されています。

キリスト時代にルカやパウロが用いた旧約聖書は「七十人訳(セプチュアギンタ)」と呼ばれるギリシャ語訳聖書でした。その七十人訳聖書では、出エジプト記6章6節の「連れ出す」、同7節の「連れ出す」、そして8節の「連れて行き」という言葉は、ルカ24:50の「連れて行く」と同じ言葉なのです。ルカは出エジプト記を意識して、あえて同じ言葉を使ったのです。かつてモーセに現われた「全能の神」「わたしが主(ヤハウェ)である」と仰った神(出エジプト6:2)は、イスラエルの民を「出エジプト」させて、苦役と苦しみから解放しました。一方、十字架に死んで「贖い」のわざを成し遂げたキリストは、私達を罪と滅びから「救い出し」、永遠の御国へと「連れて行って下さる」救い主なのです。

ルカ24:50の「手を上げて」という言葉は、出エジプト記6章8節(七十人訳)の「誓った」という言葉と同じ言葉です。ルカは、「出エジプト(エクソドス)」という救いの出来事を踏まえて、「キリストは《手を上げて》天に帰って行かれた!」と記しているのです。キリストの十字架という「ご最期」は、まさに「エクソドス」であり「新しい出エジプト;霊的な出エジプト」なのです。キリストは私達を罪と滅びから救い出してくださる「救い出す主」なのです。◇

                      −茅ヶ崎同盟教会月報 2008年7月号より−