【イエス・キリストを信ず(1)〜『使徒信条』第6回〜】

                                   
牧師 熊谷徹
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『使徒信条』は第一部が「父なる神」に対する信仰、第二部が「御子なる神」への信仰、第三部が「聖霊なる神」への信仰を告白するという構成になっており、全体で「三位一体の神」への信仰を言い表しています。第二部の主題は「御子イエス・キリストこそまことの救い主である」です。今回と次回は、第二部冒頭(原文で)の「そしてイエス・キリストを」という言葉について学びます。

「キリスト」は姓・苗字ではありません。元々は「油注がれた者」という言葉のヘブル語「メシア」のギリシャ語訳です。ユダヤ人にとって「油を注がれる」とは特別な目的のために聖別されることを意味しました。彼らは、何か特別な目的のために神に選ばれた人を「油注がれた者・メシヤ」と呼んだのです。特に神の救いの御業のために神に選ばれた人としての「救い主」をこの名で呼ぶようになりました。

一方、「イエス」は純然たる名前です。ヘブル語名「ヨシュア(イェーシューア)」がギリシャ語「イエースース」と音訳され、それが日本語で「イエス」と表記されるようになったのです。「イエス」は「主は救い」という意味の名前です。この命名について聖書はこう記しています;
「…マリヤは男の子を産みます。その名を《イエス》とつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から《救ってくださる方》です。…」(マタイ1:18-25)。「イエス」は「主は救い」という名前の通り、「民をその罪から救ってくださる主」なのです。

宗教改革者ルターはこう言いました;「この幼な子の名はイエス!私が幸いを得、罪から解き放たれたいと願うなら・・・この御名を、この御名だけを大いなるものとし、心の内に燃え立たせ、光を放つものとすれば、それでよいのです」。

イエス様は歴史上の人物です。歴史の中で生れ、歴史の中で死んだ、まことの「人間」です。イエス様は1世紀のユダヤ人で、ローマ皇帝ティベリウスの時代、紀元30年の春、総督ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ、息を引き取りました。三十数年という短い生涯でしたが、後世に残した遺物は偉大で永遠の価値あるものでした。彼は人々を愛し、神の愛と罪の赦しを宣べ伝えました。その生涯は無私の愛と献身の生涯でした。彼はまったき愛の人でした。真に義なる人であり、本当に聖なる人でした。主イエスは、「完全に人」であり、「完全なる人」だったのです。◇

                       −茅ヶ崎同盟教会月報 2010年9月号より−