茅ヶ崎同盟教会たより 2018年04月
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あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる者は幸いです。ヨハネの福音書20:29
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金曜日に十字架で死なれたイエス様は、まだ誰も葬られたことのない新しい墓に埋葬された。日曜日の朝、弟子たちが墓に行って見ると、石が墓のわきに転がされて、イエス様のお体はなく、お体に巻いた亜麻布だけが置いてあった。十字架の処刑の前夜、イエス様を知らないといったペテロや逃げた弟子たちは、ユダヤ人を恐れ戸の鍵を閉めて一つ所に集まっていた。すると、イエス様が来られ「平安があなたがたにあるように。」と言われ、釘跡のある手と脇腹を弟子たちに示した。「弟子たちは主を見て喜んだ。」
そこに弟子の一人トマスがいなかった。「弟子たちが主を見た」と言った時、彼は「その釘跡を見て、釘の跡に、指を入れ、脇腹に手を入れてみなければ、決して信じない」と言った。イエス様は再び現れて、トマスに「傷跡に指を、脇腹に手を入れなさい。」トマスの口から出た言葉は「私の主、私の神」であった。そして上記の言葉を話された。
弟子たちはイエス様が3日目によみがえると聞いていたが、空っぽの墓を見ても、み使いの言葉も信じなかった。そんな弟子の前にイエス様は現れてご自身の釘跡を脇腹を見せて下った。私たちは主をこの目で見たことはない。釘跡も、脇腹も。しかし、主と共に生きて「私たちはこの方の栄光を見た。」(ヨハネ1:14)と書いたヨハネは主の復活の様子をこのように伝えてくれた。見ずして信ずる幸いな者となれますように。 伝道師 川島正子