東北地区大学生協職員の手記 東日本大震災-そのとき、その後、これから-

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東北地区大学生協職員の手記 東日本大震災-そのとき、その後、これから-

東北地区大学生協職員の手記東日本大震災-そのとき、その後、これから-もところどころに見られました。途中から激しく雪が降り始め、行く手をふさぎます。スーパーや商店には非常食を買い求める人たちの行列ができていました。そんな中、何とか家にたどり着き、家族と再会を果たすことができました。実母の無事を確認しましたが、妻の実家、宮古とは全く連絡が取れません。家族の安否が確認できないままでしたが、少しだけメールを受信できました。業務指示のメールや、出張中の職員から現地の様子をうかがうメール。今日どうしたらよいだろうと相談のメール。仕事だから仕方ないと思いつつも肝心の家族からの連絡が取れないことに苛立ちと不安を感じながら、少なっていく携帯の電池を恨めしく感じていました。何度も繰り返す余震。鳴り止まないパトカーや救急車のサイレン。報道のヘリコプターは一晩中飛んでいます。そんな夜、ふと、子供たちと一緒に見上げた空は今まで見たこともないほど星がきれいに輝いていました。3月12日(土)ほとんど眠れないまま朝を迎え家族の事は妻にお願いし仙台会館に歩いて向かいました。中心部は非常用リュックを背負った学生やヘルメットをかぶった社会人が行きかっています。三浦専務から現地の状況を確認せよとの指示がありましたので、会館に立ち寄り、職場の状況を確認し、すぐに東北大川内へと向かいました。前日、サポートセンターご来場の皆様に佐藤専務から明日、状況次第だができる限りの対応をするとのお話がされています。現地に到着すると、避難所の支援、炊き出し、物件の被災確認などに職員が走り回っていました。ふと、見ると新入生と107