東北地区大学生協職員の手記 東日本大震災-そのとき、その後、これから-

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東北地区大学生協職員の手記 東日本大震災-そのとき、その後、これから-

東北地区大学生協職員の手記東日本大震災-そのとき、その後、これから-「たくさんのつながりを大切に」旅行事業部旅行サービスチームリーダー(当時)平間重昭◆大きな揺れが数分にわたり3月11日午後2時46分ごろ、仙台市青葉区柏木の事務所内棚がガタガタと音をたてながら揺れが始まりました。数日前にも震度5クラスの地震が発生していたため、「また地震だな」程度の気持ちの時、最大の揺れ(震度6強)が数分にわたり事務所を動かしました。天井の蛍光灯カバーがはずれ、机の引き出しが飛び出し、しばらくすると、電気系統が消えました。揺れが収まり、事務所外で余震に怯えながら唯一の情報通信として使えた携帯のワンセグから流れてきた報道は、「海岸沿いに100人以上の多数の溺死体が浮いています」でした。携帯バッテリーもしばらくするとなくなり、津波で犠牲になられた方であることを、他職員から数時間後に知りました。◆教習所入校者数ピーク時期私が担当する分野は、「自動車運転免許斡旋」です。3月中旬は多くの大学が春休みで、この時期を利用して教習所に学生が集中します。地震が発生した3月11日も通学制・合宿制の教習所には教習生が多く入校していました。全ての提携自動車学校へ教習生の安否、自動車学校スタッフの安否、建物などの損傷状況の確認が取れたのが3月16日で、113