東北地区大学生協職員の手記 東日本大震災-そのとき、その後、これから-

東北地区大学生協職員の手記 東日本大震災-そのとき、その後、これから- page 30/132

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東北地区大学生協職員の手記 東日本大震災-そのとき、その後、これから-

宮城学院女子大学『慈しみ深き』宮城学院生活協同組合(当時)平野夏織讃美歌312番「いつくしみふかき」のフレーズが耳に蘇ったのは、何夜目のことだったか。今ではもう思い出せない。しかし、この讃美歌がなければ、あの3月を、私は過ごせなかったかもしれないということは、忘れられないだろう。濃灰色のビロードが、枯れた田を滑らかに飲み込んでいく。上空からの津波の映像を見る度、未だに喉の奥が苦しくなる。テレビでは過去の映像としてあの日の津波の映像を流すけれど、未だ私は直視できず、チャンネルを変えてしまう。2年経とうという今も。沿岸部にゆかりのない私でも。当たり前の日常が、音もなく無差別に黒く塗り潰されていく。人々の糧や財産はもちろん、生活の些細な痕跡や、思い出の品も。そして何より、暖かな呼気が、熱を奪われ押し流されていく。為す術のない圧倒的な力にも関わらず、何の意志も持たない水の流れが起こしていることだということが理解できなくて、何よりも恐ろしい。東日本大震災は津波と原発とは切り離せない。現在も大きな課題として残っている。現在進行形の課題を抱える東北、宮城に住んでいながら、「では、あなたの震災は?」と聞かれた時、正直、私には語るべきものが何もない。私にとって2011年3月は当事者と傍観者の中間に置かれた混沌とした精神状態にある期間だった。そしてそれは、実は今も、震災を深く思うとよみがえる辛い感情で、できるなら思い30